写真家の阿部裕介さんの案内で、秋の北八ヶ岳にやってきたモデルのモーガン蔵人さん。北横岳と大岳、2つの山頂を経て、深い森に囲まれた双子池へ。霧に包まれた森、苔の絨毯、未知のキノコ……。初めて出会うものだらけで、五感がどんどん開いていく。
後編では山小屋で夜を過ごして迎えた2日目の様子をお届けする。
山小屋に着いた時は「まだまだ余裕」だと思っていたのに、体は疲れていたのだろう。夕食を食べたら、すぐに眠気が襲ってきた。山小屋の朝は早く、5時頃にはもうスタッフたちが忙しく朝食の準備をしている。「そろそろ陽が昇るよ」と、部屋の外から声。フォトグラファーの阿部さんはもう身支度を整えて、日の出を待っていた。
山の朝の空気は澄んでいて、冷たいけれど心地いい。フリースを羽織って山小屋の前に出ると東の空が朱色に染まり、雲にもその色が滲んでいた。雲の動きとともに色の濃淡が変わり、いっときとして同じ色彩がない。こんな日の出を見るのは、初めてかもしれない。陽が昇るとともに双子池の湖面にも光が差し、美しく輝く。湖畔を少しだけ散歩するつもりが、移り行く風景を見ながら半周ほどしてしまった。
「気持ちがいいから、湖畔で朝食にしよう」と、阿部さんが登山用のストーブとコーヒーミルを持ってきた。カメラ機材が多いとはいえ、やけに荷物が大きいと思っていたけれど、朝食用の器具を色々と担いできてくれたのだった。湯を沸かし、豆を挽いて、コーヒーを淹れる。いつもは慌ただしく飲むコーヒーも、今日はゆったりと。準備する時間も心地がいい。朝食は食パンにレタスやハムを挟んで焼いたホットサンド。なかなか重量のあるホットサンドメーカーだが「そこまでアップダウンのない北八ヶ岳なら担いで持ってこられるからね」と阿部さん。
歩く山に合わせて食事の内容やそれに使う道具を選び分ける、そんなふうになれたら、登山はもっと楽しくなるだろうなと憧れる。こんがりと焼けたホットサンドを頬張りながら、朝日を反射して輝く双子池を見る。なんて気持ちよくて、おいしいのだろう。
「今日は風が強くなりそうだから、早めに下山しよう」という阿部さんの提案で、午前中に帰路につくことにした。霧と小雨だった昨日とは打って変わって青空が広がり、森の中には光が降り注いでいる。鳥たちが忙しく鳴き交わして、蝶の姿もある。針葉樹の森を抜けて届く太陽の光は美しい木漏れ日を作り、その風景に釘付けになる。
少し歩くたびに写真が撮りたくなってしまって、全然前に進めない。写真は光を集めて像をつくり、記録するものだ。山に来て、それを肌身で感じた。木漏れ日美しさ、光と影が作る造形、そしてその変化。これほど光に敏感になれたのは初めてで、いっそう写真が好きなってしまった。
森を抜けると、広く開けた場所に出た。阿部さんの予言通り、すごい風が吹いている。姿勢を低くしながら歩かないとよろめいてしまうほどの強風。一瞬顔を上げると、目の前いっぱいに八ヶ岳の山々が広がっていた。木々のない、岩と草原の風景。登山者たちが石を積み上げて作ったケルンがある場所に双子山の山頂を示す道標が立っている。
北横岳や大岳の山頂とはまた違った雰囲気で、こんなに穏やかな山頂もあるのだと驚く。山頂に立って、風が吹いていくる方向を向くと、体全体が風を受けて、飛んでいるような気分になる。ものすごいスピードで雲が流れて、空の風景が変化していく。何時間いても、きっと飽きることがない。山の風景というのは、なんて多様で面白いのだろう。
双子山を過ぎると、あっという間に下山口である大河原峠に着いてしまった。「山から降りてくると、ちょっと寂しいよね」と阿部さんが言う。急な斜面を登り降りしている時は、少しでも早くこの時間が終わってほしいと思っていたのに、今はもっと長く山にいたかったと思っている。こんな気持ちになるから、人は何度も山に登るのだろう。事実、僕もまた、下山口に着いた瞬間に「次はどこの山に行こうか」と考えていた。「山によって風景が全然違うから、キリがないよ」と阿部さんが笑う。
1泊2日の山行でも数えきれないほどの風景に出会ったのに、山にはまだまだ未知の景色があるか。そう考えると、すごくワクワクする。もっと高い山、岩の山、雪の山……、どれもいつか体験してみたい。初めての北八ヶ岳登山は、新しい世界の扉を開けてくれた。それがどんな場所につながっているのか、自分の足で確かめてみたいと思っている。
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Profile
阿部裕介
1989年東京生まれ。写真家。青山学院大学経営学部修了。大学在学中より、アジア、ヨーロッパを旅する。在学中、旅で得た情報を頼りに、ネパール大地震による被災地支援(2015年)や、女性強制労働問題「ライ麦畑に囲まれて」、パキスタンの辺境に住む人々の普遍的な生活「清く美しく、そして強く」を対象に撮影している。日本での活動としては家族写真のシリーズ「ある家族」がある。(写真右)
モーガン蔵人
1995年4月17日生まれ29歳、東京都出身。 イギリス人の父と日本人の母を持つ。10代から国内でモデルとして活動し、パリ、ミラノのショーへ出演するなど国内外で活躍する。近年はモデルの深水光太、ローズとともにYouTubeユニット「OUR's」を結成し、映像制作や動画配信の活動も行う。(写真左)